文春砲になぜテレビが負けるのか気になりませんか?
そこには単純にテレビと週刊誌の構造的な違いがあるんです。
X子さん報道は週刊誌だからこそできたこと。そのワケを解説します。
ゴシップの考え方の違い
不倫というものは読んで字のごとく倫理にあらずということであり、犯罪ではありません。民事裁判で賠償を負うことはあっても犯罪ではないのです。なので一般的にニュースになることはありません。
「東京都の会社員が不倫をしました」というニュースを見たことはないと思います。事件でもなんでもないので報じませんし、報じる権利すらありません、ただの人権侵害になります。これが不倫、いわゆるゴシップの扱いです。
しかし、これが公人になると倫理性や説明責任に関わる問題となりニュースになります。政治家が不倫で失脚するのはよくあることですし、総理が不倫で退陣に追い込まれた例もあります。
そして半公人である芸能人です。ここの扱いが極めてグレーゾーンになります。
週刊誌はここを積極的に報じます。むしろここが主戦場といっても過言ではありません。
一方で基本的にテレビの人は芸能人の不倫は報じるものじゃないと思っている人が大多数です。公人じゃないというのがその理由の大部分ですが、テレビ局で働いている取引先というという関係性も多少関係します。しかし、あまりに関心が高いと報じざるを得ないとして報じます。だから全て週刊誌の後追いになるんです。
テレビの長期取材はマレ
はっきり言ってしまえば今のテレビ局には体力がありません。そのため取材に時間がかかるというものはあまりやりません。やるとすれば犯罪や汚職といった公益性が高いものだけになります。例えば社会部が芸能人が覚せい剤で警察にマークされているという情報を入手すれば長期取材ということもありますが、テレビ報道は日々に報じるニュース量がすでにキャパオーバーなので長期取材に人を避ける余裕がすでにありません。
しかし、週刊誌はフリーの記者やたれこみといった情報から入り、そこがスクープ、文集砲といったものにつながるので多くのリソースを注ぎ込むという違いがあります。
テレビからはスクープはもう出ない?
現場の記者はやる気に満ちている方はいますが、いかんせんテレビ局の体力が減ってきた、その場しのぎの自転車操業の面が多いので正直難しいのかなというのが私の感想です。しかし、SNSなどでフェイクニュースが一般的になってきている中、新聞・テレビのオールドメディアへの回帰はいずれ起きると思いますので信頼を取り戻すためにもリソースを割くべきだと思います。果たしてどうなるのでしょうか。